2011年01月12日

もっと河童の話をしよう!

現在の松原川には、6体の河童がいます。なぜでしょう?

元々松原川は、戦国末期から江戸時代の始めに治水の神様と称された鍋島家の重臣成富兵庫茂安(なりどみひょうごしげやす)が、佐賀城下の用水路として整備した人工河川で佐賀市民の生活に欠かせない川でした。以前は、飲み水としても使われていたようです。

第二次世界大戦後の復興期に人口が増え、商店街、飲食店が立ち並び、松原川は生活用排水の汚水が流入してドブ川になってしまいました。

そこで、昭和50年代中ごろから市民が、昔ながらの清流にしようと自ら清掃活動をはじめ、その動きに応えるように佐賀市役所でも市の事業として環境整備事業に取組まれました。

平成の時代になり、一連の事業が完了すると、当時の佐賀市長が、松原川にかつて住んでいたといわれる河童に対し、「市民の力で、川がきれいになった。是非、帰ってきて欲しい。」と手紙を出したところ、6体の像として、松原川沿いに戻ってきたというものです。

長老 兵主部(ヒョウスベ)(三八八才)
父さんカッパ(三三八才)
母さんカッパ(三三八才)
長男カッパの川太郎君(三一二才)、
長女カッパのみどりちゃん(三〇八才)
次男カッパのワンパク君(三〇三才)

その他、川太郎兄弟から見て、従妹みずえちゃんが鹿児島県菱刈町のガラッパ大王と結婚することが決まり、菱刈町川内川の公園で結婚式が挙げられ、当時は、かなり話題になっていました。




Posted by sagacrip事務局 at 19:41│Comments(0)
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